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盛岡観光・ひな祭り|志波城古代公園の“いにしえのひなまつり展”

いにしえのひな祭り展

いにしえのひなまつり展

志波城古代公園で開催されている「いにしえのひなまつり展」は、日本の伝統的な春の祭りであるひな祭りの魅力を、初めての方にもわかりやすく紹介しています。
展示会では、平安時代から続く雛人形の展示はもちろん、二枚貝や折り紙を使った独特のひな人形も見ることができ、日本の伝統文化の深さと、手工芸の技術の進化を体験できます。

ひな祭りがどのように時代を越えて受け継がれ、現代にどのような形で残っているのかを見て楽しめるこの展示会は、“ひな祭り”への理解を深めたい方にはぴったりの機会です。
平安時代から続く伝統と技術の美しさに触れながら、日本の春のお祭りを新たな視点で楽しむことができます。

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展・貝の雛

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展・貝の雛

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展・貝の雛

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展

いにしえのひなまつり展・貝の雛

いにしえのひな祭り展-貝の色々

いにしえのひなまつり展-貝の色々

いにしえのひな祭り展-貝の色々

いにしえのひなまつり展-貝の色々

いにしえのひな祭り展・貝の雛

いにしえのひなまつり展・貝の雛


貝ひな人形や折り紙の雛人形など、色々なお雛さま

五節句が日本に伝わってきた平安時代では、貴族の女の子の間で人形を使った「ひいな遊び」が流行。それらが結びつき「流し雛」という習慣が生まれました。
これがひな人形の始まりとされています。

色々なおひなさま

色々なおひなさま

色々なおひなさま

色々なおひなさま

立体的なお雛様

立体的なお雛様

立体的なお雛様

立体的なお雛様

折りびな

折りびな

立体的なお雛様

八角箱入おひな様

星びな

かごや姫の物語に出てきそうな“星びな”

すわり雛

左/すわり雛 右/親王飾り

吊りびな

吊るし雛(つるしびな)

いにしえのひなまつり:平安時代から続く春の祝祭

平安時代のひな祭りの起源

平安時代、ひな祭りは女性の幸せと成長を願う春の祝祭として始まりました。
この時代の雛人形(ひな人形)は、貴族社会の精緻な文化と工芸の高さを象徴しています。
雛遊びは、平安貴族によって行われ、災いを身代わりに引き受ける「流し雛」の風習へと発展しました。

ひな祭りの変遷と現代への影響

時代を経て、平安時代の雛人形を使った風習は、現代のひな祭りと雛人形の展示へと発展しました。
これらの風習は、女性の健やかな成長を願う家庭の行事へと変わり、現代においてもその伝統が継承されています。

「いにしえのひなまつり展」では、平安時代から続くこの春の風物詩の歴史的背景と文化的意義を通じて、古代から現代に至るまでの文化的継承を紹介しています。
この展示は、日本の伝統文化の理解を深め、春の祝祭の起源とその変遷を通じて、日本の文化的豊かさを感じることができます。

  • 「いにしえのひなまつり展」基本情報
    期間:2月3日(土)から3月3日(日)
    会場:志波城古代公園案内所
    時間:9:00~16:00
    入場料:無料
    休館:2・3月は無休
    問合せ:019-658-1710

貝雛の製作者 西村須美子さんについて

いにしえのひなまつり展で展示されている「貝雛」の製作者西村須美子さんは、1938年(昭和13年)花巻市に生まれました。

20歳で結婚し一男一女をもうけ円満に暮らしていましたが、56歳の時慢性の白血病を発症し、闘病しながら鬼籍に入る83歳まで、300点余りの貝雛飾りを創作しました。

須美子さんは、日頃「お雛さん見て誰もおごる人いないんだ。見だ人の心がなんぼがでもホッと和んでもらえだら、それでいいのだ。おれみでな素人が作ったものだもの、おもちゃっこみでなもんだ・・・」と口癖のように言っていたといいます。

東日本大震災〜三陸沿岸展示への願いと祈り

2011年3月11日、自宅で雛飾りを祝おうと友人たちと貝雛の展示作業をしていた、14時46分東日本大震災が発生し、雛飾りは四方へ飛び散り崩れ落ちたそうです。

貝殻を譲り受けていた釜石の渡辺さんご夫婦が、津波の犠牲になられたことを後から知り、以降恩返しに三陸沿岸での貝雛展示をすることが、西村さんの願いと祈りになったといいます。

西村さんの願いは、須美子さんの意志を継いだ娘の戸田菜穂子さんが、のちに陸前高田市の「気仙大工左官伝承館」で宿願を果たし、今は貝雛伝承家「須美子工房」代表として貝雛の展示や貝殻を利用した各種ワークショップを手掛けているそうです。

↓ 盛岡市内4か所で行われている“ひな祭り”をご紹介しています。↓

 

志波城:古代の大和政権が築いた東北防衛の砦

復元整備された古代城柵「志波城」

復元整備された古代城柵「志波城」

創建者と時代背景

志波城は、平安時代の始まりにあたる約1200年前、東北地方の平定を進めた著名な武将、坂上田村麻呂によって築かれました。
この時代は、中央政権が地方に対する支配を強化しようとする中、地方の平定と防衛のために東北地方に多数の城柵が造られた時代でした。

20数カ所も作られた中、志波城は陸奥国の最北の城柵として、最大級の規模で造営されました。

古代城柵「志波城」の外壁

古代城柵「志波城」の外壁

歴史的価値と教訓

志波城は、中央政権による地方統治の象徴として、また、日本の古代史における東北地方の平定という重要な出来事の証として、その歴史的価値が高く評価されています。
この城柵が築かれた背景には、中央と地方の関係、地方における治安と防衛の問題など、現代にも通じる多くの教訓が含まれています。

今日においても、志波城の存在は、過去の人々が直面した挑戦とその解決策、そして歴史を通じて蓄積された知恵と経験の重要性を我々に教えてくれます。
私たちにとって、志波城の歴史は、ただ遠い過去の出来事を学ぶのではなく、現在の生活や未来に向けての学びにつながる貴重な資源です。