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盛岡は“麺のまち”|「わんこそば」「盛岡冷麺」「盛岡じゃじゃ麺」が今は盛岡の顔

めん都もりおかの“わんこそば”

めん都もりおかの“わんこそば”

岩手・盛岡は「麺のまち」

初夏の北上川と岩手山

初夏の北上川と岩手山

近年盛岡は「麺のまち」として全国に知られるようになりました。
なかでも「わんこそば」「盛岡冷麺」「盛岡じゃじゃ麺」は、盛岡三大麺として全国的にも知られるようになり、今では盛岡ブランドの顔になっています。
意外なことに、盛岡の味として定着したのは、いずれも戦後になってからのことで、昭和生まれのまだ新しい食文化なのです。
三大麺の中で、最初に盛岡の麺として、全国的に知られるようになったのは、「わんこそば」でした。
この記事では、「わんこそば」のルーツから、岩手・盛岡地域で育まれてきたこれまでをご紹介します。

わんこそばの始まり

わんこそばが盛岡で広まったのは、戦後の復興期、昭和20年代はじめですが、昭和30年代になると、新聞やテレビなどで取り上げられることが多くなり、全国的に注目されるようになりました。
当時の日本は高度成長期で、農協や町内会、会社の慰安・研修旅行などが盛んになってきた頃でした。
その慰安・研修旅行の日程に、わんこそばが組み込まれるようになってくるに従い、盛岡の名物料理として人気となりました。

わんこそばは何故人気に

それまでかけそばなどは丼で食べるのが一般的でしたが、お椀に一口で食べられるぐらいの量を入れ、次から次と食べた数を競うというエンターテイメント風の食べ方がユニークで、人気となりました。
わんことは、椀子(わんこ)と書き、主に岩手県を含む東北地方の方言で、特に盛岡市が有名です。

わんこそばの薬味も店により色々と注文可能です

わんこそばの薬味も店により色々と注文可能です

わんこそばの醍醐味とは

わんこそばは、決して大食い競争でも、早食い競争でもありません。一般のお客さまが店で食べる際は、自分のペースで味わってかまわないのですが、大食いや早食いを競う食べ方でないと、食べた気がしないというお客さまも多いのです。
グループや団体のお客さまは、旅行の記念として“わんこそばの食べ比べ”を、盛岡観光の思い出として楽しまれています。

老舗のわんこそば屋「元祖わんこや」

かつてわんこそばの老舗店として「元祖わんこや」が知られていましたが、残念ながら閉店してもう25年ほどになります。
戦後花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「斎藤そば屋」が名物料理として考案、「大畠家」に訪れ器や給仕の方法や作り方などを教わり、“名物わんこそば”として商品化したといいます。
盛岡でもわんこそばが評判となり、屋号を「斎藤そば屋」から「わんこや」(現在廃業)と改名し、「わんこそば」を商標登録。

中津川にかかる与の字橋

中津川にかかる与の字橋

与の字橋の先、紺屋町番屋の手前に「わんこや」があった

与の字橋の先、紺屋町番屋の手前に「わんこや」があった

「わんこや」は、盛岡市の中心部を流れる中津川にかかる与の字橋のたもとにありました。木造三階建の「わんこや」は、観光スポット「紺屋町番屋(こんやちょうばんや)」の並びにありました。
当時はいくら食べても同じ料金の“食べ放題”は珍しく、若い世代の人たちにとっても人気だったといいます。
また、和服姿の女性が給仕をつとめ、掛け声も今と同じ「はい、どーんどん、はい、じゃん、じゃん、それじゃんじゃん」と小分けしたそばをタイミングよく椀子に入れてくれたといいます。

盛岡の老舗そば店①「直利庵(ちょくりあん)」

盛岡の老舗そば店・直利庵

盛岡の老舗そば店・直利庵

盛岡の有名老舗そば店といえば、直利庵(ちょくりあん)があげられます。創業は明治17年(1884)といいますから、140年の歴史と伝統ある有名店です。
直利庵のそば料理は、メニュー豊富でわんこそば・日本そばはもちろん、中華そば、季節の変わりそば、持ち帰りそば、さらにそば懐石・お料理まで、何度訪れても食べ尽くせないほど。
おすすめのメニューなら「季節のかわりそば」の春・夏・秋・冬でしょうか。山菜や初茸、たちこ・牡蠣など、季節それぞれのそばメニュー(いずれも時価)が楽しめます。
直利庵のおしながきは下記リンクからご覧ください。

www.chokurian.com

盛岡の老舗そば店②「東家(あずまや)」

東家本店でのわんこそば

東家本店でのわんこそば

もう一つ盛岡の有名老舗そば店をあげれば、明治40年(1907)創業の東家があります。
日露戦争が終戦し二年後の開店ですから、すでに117年の歴史があります。
現在は盛岡市内に、東家本店(中ノ橋)、そば処東家別館(本店隣り)、そば処東家駅前店(盛岡駅前通)の3店舗経営しており、本店と駅前店でわんこそばを味わえる。
盛岡を訪れた観光客の皆さんの多くは、いずれかの東家でわんこそばを楽しまれたのではないでしょうか。

写真左が東家別館、右が東家本店

葺手町の東家別館(左)、東家本店(右)

本店のある通りは、かつては葺手町(ふきでちょう)とよばれ、、今でも伝統的な建物や古い町並みが残っており、歴史を感じることができます。
店の前ではお客さんの多くが、店の前で記念写真を撮ったりしている姿をよく見かけます。
東家のメニューも多彩で、各種のそばメニューだけでなく、月変わり弁当・特製弁当やお持ち帰りメニュー、丼もの、おうちでわんこそばセットなどが用意されている。
メニューの内容や料金は、下記リンクから東家のWEBサイト(日本語・英語・簡体語・繁体語)をご覧下さい。

wankosoba.jp

箸休め|「わんこそば」にも危機があった

与の字橋のたもとにあった「元祖わんこや」が、わんこそばを始めた頃、盛岡そば組合加盟の店主たちの間で「加盟店が力をあわせ一緒にわんこそばを売ろう」という話でまとまったといいます。
呼びかけ人は、東家二代目の馬場勝治さんだったといいます。東家開業について→*1
わんこそばに着目し組合加盟店で盛り上げれば・・・と考えたものの、わんこそば用の椀が高価だったこともあり、全店での参加は難しく、有志の数件のみが椀を揃えてはじめたのだそうです。
直利庵がわんこそばを始めたのは、昭和20年代半ばごろ。当初は1日に1組か2組の客があれば良い方で、しだいにわんこそばを止める店が出るようになったと。
数年後、我慢強く続けていたのは、「元祖わんこや」「東家」「直利庵」など数軒になっていました。
その逆境にもめげることなく、お客の意見に耳を傾けながら工夫をつづけたことが実を結び、昭和30年代以降に盛岡を麺のまちといわせるほどの人気メニューに育て上げ、今日に至っています。

ただ残念なことに、馬場勝治さんは昭和32年、わんこそばのブームを目にすることなく、45歳という若さで他界しています。今も残されている勝治さんの特徴的で親しみのある文字やイラストを目にするたび、勝治さんの姿が思い出されます。(盛岡市民としてあらためて馬場勝治さんのご努力に感謝いたします。)

盛岡にある多くの蕎麦屋

盛岡にはわんこそばの老舗店が、やぶやフェザン店(盛岡駅)初駒本店(八幡町)だけでなくあり、さらには多くの蕎麦店があります。
細川屋(本町通)・橋本屋(本町通・大通)・百味庵(上ノ橋町)・与志美庵(南大通)・かしわ屋(大通)・北田屋(中ノ橋通・仙北)などなど数え切れません。
そばのお好きな方は、GoogleMapで「盛岡 蕎麦屋」または「盛岡 蕎麦屋 人気」と検索してみて下さい。
きっとお好みの蕎麦屋が見つかることと思います。

初めてわんこそばを体験しようとする方は、下記のページをご覧下さい。↓

morioka-kankou.hateblo.jp

お断りと御礼

この記事は、「もりおか暮らし物語委員会」発行の「もりおか暮らし物語読本・めん都もりおか」(著者・松田十刻氏)の内容を要約する形でまとめました。
この委員会が盛岡ブランドの推進を目的とした「盛岡市ブランド推進課」内におかれていることからわかるように、この本は盛岡の魅力を「盛岡三大麺」をテーマに、丁寧に取材し盛岡市民や観光客の皆さんにわかりやすく纏められていると思います。
全国の麺好きの皆さんが「麺のまち」盛岡を話題にするときがあれば、ぜひこの本の内容を参考にしていただきたいと思い、大変勝手ながら要約・紹介させていただきました。
Amazonでも格安で入手できますので、ぜひお求めになり、「盛岡三大麺」に関わる歴史やエピソードを楽しんでいただければと願います。
この本の著者をはじめ出版にあたりご努力された皆様に、あらためてお礼申しあげます。
※盛岡市ブランド推進課とは→*2

もりおか暮らし物語読本・めん都もりおか

もりおか暮らし物語読本・めん都もりおか

*1:東家は盛岡の老舗料亭“大清水多賀”で板長だった土井東吉さんが、明治40年(1907)葺手町(現・中ノ橋通)に大清水多賀の支店として暖簾分けしてもらい、開業したことが始まり。初代亡き後、時々来店していた馬場勝治さんが、初代の一人娘と結婚し、二代目となった。

*2:盛岡市ブランド推進課は、盛岡市の価値や魅力を市内外に発信し、市民一人一人が誇りや愛着を抱くシビックプライドを醸成することを目的としています。盛岡ブランドの推進に関わる事業を各担当課が実施しており、盛岡ブランド市民推進委員会や盛岡ブランド推進戦略会議などの組織も連携して活動しています。